KOZO MIYOSHI
8x10.jp

FUJIYAMA

2005 Fuji98856

首都高速道路に乗った時は32度を越えていた真夏の昼下がりだった。幾つかの橋とトンネルを過ぎるたびに少しづつ海抜を上げる高速道路のその出口にくる頃には、この季節にはよくある夕立ちが路面を濡らしていた。車内は25度位にエアコンをセットしてあったが、窓を開けるとそれより涼しい空気が、雨のにおいといっしょに、車の中に流れ込んできた。高速道路をおり、今日は低い雲がかかり山の姿は見えていないが、この山懐の街に来ると縁起を担いですることが二つある。最初の山登りが無事に済んだことから、今日も先ずバイパスの立体交差の手前にある、黄色の看板の郊外レストランで、あのうすいハムと野菜のサンドイッチにコ-ヒ-で早めの軽い夕食を済ませる。それからこの山の五合目まで車で上れる山道にさしかかる十字路の角にある、青い色の看板のコンビニエンスストアで、夜食の赤飯のおにぎり二つとあんパンを手に入れることにしている。それは他愛もないことで、いつかの山登りの時、これに寄らずに登った時、八合五勺で下山を余技なくされたことがあったからである。靄のかかった九十九折れの山道を一気に登り切った五合目の駐車場に、少し渋滞したが、運よく登山口に近い所に駐車する事ができた。はやる気持ちを抑えて車から下りた時には、日の入り前の秋風のような心地よい風が辺りを和ませていた。形だけの登山口のゲ-トの脇には神社が鎮座している。その隣には半世紀近くは営業していると思われるこの広場で一番風格がある建物のお土産やがある。疲労感と達成感が入り交じった下山したてのグル-プの会話を耳にし、初めての登山らしい若者達が小走りの早さで、しばらく歩くと忽然と無くなる木々の間の登山道を、夕闇せまる光の中に吸い込まれて行くさまなどを、背もたれがホ-ロ-製の牛乳屋の看板のベンチに座り時の経つのを待つ。はやる登りたい気持ちを抑えて待つ。ここは既に海抜2300メ-トル。ここから頂3700メ-トルまで水平距離6キロ標高差1400メ-トル、こんなきちがいじみた登山道があっていいものか。兎に角、体が高度に慣れるのをここで待つ。日が入り、星が一つ二つの時に出発です。そう此から先20時間、この山の懐にいる間は、何が、何処で、何時、誰が、をうち消した時空の中に入るのです。眼下には民家の電灯、道路の水銀灯、商店街の明かり、ホテルのネオンの光を従えてこの山が経って造り出した堰止湖が、如何にも此から宇宙の彼方に舞い上がろうとするかのように、浮き上がって見えるのです。遙か山並みの彼方にはあの大都会の放つエネルギ-が幾重もの光の弧になって解き放されています。仰げば白鳥が天の川を従えて大きく羽ばたき、その周りを流星が我が物顔で遊びめぐります。ふと足元に目をやれば既に夜目になっている瞳孔がとらえるのは、岩と我れがくりだす小幅の左右の歩みです。一歩そして又一歩、これがこの世の全てです。なぜか六根清浄のかけ声が実感できるのです。一歩一時が進みやがて東の地と空の接点が小さくはじけ、それは瞬く間に両手いっぱいまで拡がり、そこに今日という太陽が生まれ出るのです。

遠くから望む富士山は八面玲瓏、優美で類なく美しく、まさしく掛け値なしの不二の山です。富士山を経って関八州、江戸八百八町の人々が、それぞれの土地から望むお山を、お富士さん、富士様と親しみを込めて詠んでいたやさしい姿です。そんな富士山に、ここ数年夏の行事として若い友人達を誘い、一夏に二度、富士行を慣行しています。毎度のことですが、下山して疲労困憊もう次は無しと決めてしまいます。しかし一週間程過ぎると又、あのお山の懐がなぜか恋しくなるのです。六根清浄お山は晴天と、金剛杖をつき鈴を鳴らして登る富士講の人々はめっきり減った様です。ある年のこと高齢の大先達に出会い、問いました。すると彼は「六根清浄とは人間の大切な知覚をいい、眼、耳、鼻、舌、身、意、のすべてを清浄して登っているのだから、晴天で良い登山が出来ますようにと、お山に声をかけて祈りながら登るのです。」とひとりごとのように応え、この山中響きわたる様な涼しげな鈴の音を残して、頂きの鳥居に向かって歩を進めて行きました。

The distance view of Mt.Fuji, wherever it is observed from, is clear and bright, elegant and beautiful, and the sight is distinctly of the mountain literally peerless. It remains in an appearance as graceful as people in Edo and the Eight Regions of Kanto used to call the mountain affectionately with feminine nicknames like “O-Fuji-San” and “Fuji-Sama”. It has been one of my regular summer activities for several years to climb Fujiyama twice in the season with younger friends. I have exhausted myself so unmercifully every time I come down the mountain that I say to myself, “This is the end of my practice.” In a week I start longing again for the bosom of Fujiyama. People of “Fuji-Ko” groups are now scarcely seen climbing with a Kongo Cane, and ringing a small bell along to their chant “Rokkon-Shojo, Serene Over the Mountain”. The groups make a trip on their cooperate savings called “Fuji-Ko” solely designated to the Fujiyama Climbing. I once ran across an aged precursor, and asked him a question about their chant. In answering to it, he murmured as if he had been talking to himself, “Rokkon signifies our six important perceptions through the eyes, ears, nose, tongue, body and mind, and Shojo means the state of perceptions as in clarity. They call out to the mountain and pray for a wonderful mount-climbing under the fine weather, appealing to their physical and spiritual readiness for it”. Then he picked his steps toward the peak, leaving a clear sound of the bell the echoed in the mountain for some time.