KOZO MIYOSHI
8x10.jp

YUBUNE

162301 Nasu,Tochigi 那須 栃木 2012

以前、印画紙を湯水のように使っていた。そんな表現に似合う位、暗室に明け暮れていた時期があった。かねがね思っていたことに、温泉はそのように言われる位に、津々浦々で容易く浴する事が出来たのであろうか。そして思い立ち、神世の時代からこんこんと湧き出ている温泉を巡ってみた。温泉は自然科学的にして、崇拝の対象にして、国中で湯水が沸き出しているのである。そんな温泉には古い時代からの温泉場であれ、新しく掘り当てた温泉であれ、野湯と言われるものまで、そこには老若男女が笑みをたたえ、まさしく裸の付合いとゆう晴れの姿で集っていた。
春の花冷えのする、小糠雨が纏わり付く様に降り出した夕方に、以前から気になっていた、南国のとある温泉に向かって車を走らせた。道中ほとんど晴れる事なく一日半かけてたどり着いた時も前線が停滞しているのだろう、相変わらず雨はしとしとと降り、止むことはなかった。やっとたどり着いた湯のある街は、子供の頃憧れの左のバッターボックスに立つ名選手の生地である事だけが唯一の知識だった。その湯は川端から一本入った路地に裸電球が営業中の証を灯し、ひっそり佇んでいた。迷う事なく滑りの悪い引き戸をぎこちなく開け気配を伺い、慎重に毎度の事として大事な営みを乞うのであった。外は小雨が降り時分時の前であるので湯を使う人の気配はない。此処の主人はこの情景には場違いな長い髪を無造作に束ねた背筋がのびた女性であった。多分父親が亡くなり彼の思いを受け継ぐ為に大都会から戻って来たのだろう、話し言葉や仕草からそんな思いが察せられる。しきりの向こうで人の気配がした。午後の始めての湯を使う方だろう、その方との会話は異国の囁きのように聞こえた。この日は運良く私が撮らせて頂いた側には湯を使う方はみえず、半時でことがすんだ。レンズを外し機材を片付けようとした時、およそ四半世紀前のファミリーカメラを手にした先程の女主人が、遠慮がちに写真機と私の写真を撮らせて下さいと声をかけられた。こんなに緊張し、こんなに誇らしげに写真に納まる事は久しくないことだろう。依然外は雨、ガラス窓から入る光は鉛色、かすかに聞こえるのは湯船からあふれる湯の調べ。